ブータン紀行アルバム        ごゆっくりとご覧下さい。    111枚
ブータン王国ドゥック・エアー航空でパロ国際空港に降りる。
タイ・バンコク国際空港より3時間のフライト
時差 日本より−3時間

標高2,300mの山あいにあり、有視界の離発着しかできない。
パロ空港より、パロ・ゾンを望む(パロ県)

ゾンは、寺院と役所が一体となった
ブータン特有の建物

近年、政教分離となっているが、かつて祭政一致が採られていた名残りが現在も続いている。

ゾンでは、帽子や傘(雨が降っていても)は絶対ダメで、大きな声、露出度多い衣服も禁じられている。
「パロ平野」

標高は2,300mで、首都ティンプーよりやや低いところに位置する。ブータンの中で、比較的平坦な土地があり、農業が盛んで経済力も高いようである。

農業は、稲作主体で野菜はトマト、ナス、瓜、ジャガイモ、ほうれん草、アスパラ、カリフラワーなど日本と同じものが多い。

米の作れない高地は、ジャガイモやソバが中心

手前左の町並みが商店街で周りは水田
「ダルシン」(経文旗)

風通しの良い小高い丘の上に、布に経文を印刷した幟が林立している。
このダルシンが風にはためく毎に経文を1回唱えたことになるという。

同様にマニ車も数多い。

「国立博物館」


パロの市街地を見下ろす山の中腹にある。半円形をした変わった建物である。

元は、真下にあるパロ・ゾンを見守るために建てられた望楼で武器庫や弾薬庫、捕虜を収容する牢獄が備えられていた。

傾斜地に建っているため、4階に入り口があり内部は6階になっており、とても複雑で入り組んでいて迷路のようだ。

   民族衣装のゴをまとったガイドのカルゲさん
バックは、「パロ・ゾン」

ブータンでは民族衣装の着用義務があり、罰則もある。民族衣装は日本の着物に似ていて、男性用は「ゴ」女性用は「キラ」という。
町を歩いていて「ゴ」か「キラ」を着ているのがブータン人でそれ以外の服を着ているのが外国人という事になる。ただし、電話や電気の工事をする人たちはちゃんと作業服を着ている。
「キラ」は一枚の布でブラウスの上から巻きつけるようにして着る。
「ゴ」は袖があり、着るのは比較的簡単そうだ。


左は、パロ・ゾンの中庭から国立博物館を見上げた
「タシチョ・ゾン」ティンプー県

ブータン仏教の総本山かつ国会議事堂かつ国王の執務室がある壮大な建物
セキュリティーチェックを受け入城

ゾンは役所と僧院の機能を持ち、行事を行う広い中庭があるブータン特有の建物をいう。
   「タシチョ・ゾン」は、バラに囲まれた壮大な造りである。
パロ・ゾンの入り口の屋根付き橋

パロ・ゾンでにわか雨に遭い、激しくトタン屋根を打つ雨音に驚いた。

寺院も民家も窓や壁面は手の込んだ装飾をしているが、屋根はシンプルなトタン屋根が多い。
昔は鉄平石を並べていたそうだが、最近はインドから輸入のトタンを国が奨励しているそうである。
首都テンプー標高約2400m
市内のメインロータリー。
信号機はない。
お巡りさんの代わりに人形(ロボット)が入ることも・・・
車庫規制がないので路上駐車が多くなってきている。

朝夕のラッシュ時は、車も多く渋滞気味となるが、何故か、渋滞は出勤時刻より遅く、退社時間より早いそうだ。????
(遅刻、早退が当たり前)

市内では、屋上にダルシンが。

テレビは、パラボラで、50チャンネル位映る。
NHKワールドも
ティンプー広場の時計台

国名は、 ブータン王国(Kingdom of Bhutan)
ブータンの人々は、自分たちの国のことを「ドゥルック・ユル」と呼んでいる。
ゾンカ(ブータンの国語)で、「ドゥルック(Druk)」は雲龍を、「ユル(Yull)」は国を意味する。

このため、方々で雲龍が描かれている。

国旗
ブータンの国旗





黄色は国王の権威、オレンジ色は宗教の力を表しており、中央の雲龍は、国名の「ドゥルック・ユル(雲龍の国)」に由来している。

ティンプーの街の広場では
Early Childhood Care and Development =ECCD (乳幼児保育)のイベントが開かれていた。

早朝の広場は、鳩の群れが。

布切れは、「ルンタ」である。洗濯物ではないぞ。
ダルシンと同じく意味
竿に立てるのがダルシン、紐に吊すのがルンタ






広場で露店が並ぶ

子供たちは、フェイスペイトが。
大人は、ビンゴが、人気がある。



「サブジ・マーケット」(テンプー)
土日に開かれる。

市場の横で、女の子が駄菓子などを売っていた。

穀類が多く、野菜も豊富


仏教関連の土産物や工芸品

ブータン料理に欠かせない唐辛子

ティンプー市内のいたるところに犬がいる。
ネコはほとんどいない。

野良犬で、首輪が付いていない、狂犬病の可能性もある。
犬を動物病院に連れて行けば小額のお金が貰え子供たちの小遣い稼ぎになる。
病院では予防注射をし、注射済みの印に耳を少し切って放される。
従って、耳を見れば注射済みかどおかが分かる。

野良犬達、昼間はとてもおとなしく吠えもしない。ところが、夜になると一変して元気になり、あちこち歩き回り、犬同士けんかもしている。

因みに、牛も馬も犬も、動物病院は無料である。
牛や馬は、ほとんど繋がれることなく道路や野山を自由に移動したり、草を食んで夕方には自宅に帰るという。

人や車は、牛や馬を避けながら通行する。
野良犬も同様である。
「ウォンディ・フォダン」の検問所にて
ここは、西のティンプーとプナカ、南のチラン、東のトンサへ向かう要衝の地である。インド軍も駐在する検問所がある。
このような検問所は、要所要所に設けられている。

牛は、ノーチェックでバスにも動じない。

このような光景は、至る所で遭遇する。

自由な割に、どの牛も結構痩せていて可哀想?

日本の牛のように繋がれ、狭い牛舎で、太らされ、ビールまで飲まされて、食べられて、幸せは?

道路は狭く、ほとんどが山道、ガードレールはない。
トンネルも無く、川や谷が多いが橋は少ない。

トラックの多くは、様々な装飾がされており、目玉が描かれている。
仏像や、仏教関連の吉祥紋が多数描かれているのがブータンらしい。
宗教的な意味合いはなく、単なる人気デザインとのこと
ウォンディ・フォダンの丘の上にある広場と商店

小型のタクシーが多い。
小さな商店が立ち並ぶ。


道端で自家製品を販売

りんご、くるみ、乳清、乾燥チーズなど

リンゴは美味しかった。

乾燥チーズはとても堅く、歯が折れそう。
「ドチュラ峠」標高3,150m

数多くのチョルテンが建ち並び、ルンタやダルシンがはためく。


天気が良ければブータンの最高峰ガンカー・プンスン(7,541m)が遠望できるそうたが、あいにくの霧。

   ドチュラ峠で車を降り、林間道をランやシャクナゲを見にハイキング

大きなシャクナゲの木、花は終わっており、少ししかなかったが、小さな着生ランが多い。

「プナカ・ゾン」は、101年前に第一代国王が即位式を行った寺院

ジャカランタの花が満開
ジャカランタの花びら



   プナカ・ゾンの僧侶
ウォンディ・フォダンは標高1,300程度とかなり低い。そのため熱帯性のバナナやサボテンも植生している。

この地方は、乾燥した風の強い地域といわれている。

山肌や道路脇などいたるところに「ウチワサボテン」が群生し、黄色い花をいっぱいにつけていた。



プナカにて

野生のサボテン
プナカでは、至る所でサボテンの花が咲いていました。
野生の着生ラン
この木には、何種類ものランが。
「ペレラ峠」標高3,450mは、霧に包まれていた。

チョルテン(仏塔)とルンタ

仏塔には、ブータン式、ネパール式、チベット式がある。

峠の土産物屋

標高も高く天気も悪かったので、とても寒かった。

ヤクの毛を紡いでおり、手織りの暖かそうなベストを売っていた。


霧の中に突然ヤクが現れた。

ヤクは、凶暴なので注意!!

この辺りは、シャクナゲが多くあったが、盛りを過ぎており花は寂しかった。
シャクナゲの群生する急斜面にも牛が。
「ガンテ・ゴンパ」

ガンテゴンパとは「山頂の寺」の意味があり、西ブータン最大のニンマ派僧院である。

僧院の下には、オグロヅルの越冬地として有名な美しいフォブジカ谷の湿地帯が広がっている。



お寺の壁面の模様はスゴイ


建物の神獣は、最も大事な位置で隅を守っているのはガルーダ。
その脇をマカラがセンゲ(雪豹)を従えて固めている。(左下の写真)





僧院内には、寄宿舎のような小部屋がずらりと並び若い僧が数人ずつ出入りしていた。

フォブジカのホテル 標高3,000m 寒い

眼下に広がる湿地帯は、オグロヅルの飛来地

電気はなく、ローソク、薪ストーブと湯たんぽ
バター茶は美味しく、薪ストーブも暖かく裸で寝た

フォブジカの谷は、絶滅危惧種の”オグロヅル”が毎年10月下旬に、中国からヒマラヤ山脈を越えて、飛来してくる。
そして翌年3月初め頃まで越冬し、再びヒマラヤ山脈を越え中国へ戻る、ツルの越冬地である。

フォブジカ谷の人々は、オグロヅルが毎年越冬できる自然環境を守るため、電柱も電線も引いていない。
電気は民家もホテルもソーラーパネルを屋根に設置し、一日に限られた時間だけの電気供給で毎日の生活を送っている。
ブータンでは、貴重な平坦地を農業用地に開拓したいとの要望もあったが、自然保護とオグロヅルとの共存を願っての結論となったそうである。

これに政府は、その意志に基づき、ソーラーパネルの設置を援助し、フォブジカ谷の自然環境を守る活動を行っている。

今では、世界各地からツルの観察に大勢の観光客が来るそうである。
大きな木のシャクナゲ
「チェレラ峠」標高3988mは、車で行ける国内最高地点

おびただしいダルシン(経文旗)が立てられ、ルンタがはためいている。

私たちも幸せを願って町で買って持ってきたルンタを立てました。
チェレラ峠からは、5000m級の山々が望める。
5000m位では、名前も付いてない。
ダルシンとルンタ

「ダル」は旗、「シン」は木の竿を意味している。
ヒマラヤの谷のいたるところに、ダルシンが見られる。

「ルン」は風、「タ」は馬を意味する言葉である。
竿に布をつけずにそのまま橋などにくくりつけられている。経文の中央に宝冠をかぶった馬が描かれ、風がなびくたびに経文をあげたことになるという。

ブータンは風の国であり信仰の国なのだ。
チェレラ峠を少し下がった標高3700m辺りでケータリング・サービスによる青空ランチは、デザートのフルーツとケーキもあって最高
さわやかな空気の下、しばし昼寝も楽しんだ。
勿論トイレも青空
すでに最盛期は過ぎていたもののオレンジ、白、赤などのシャクナゲが。
タクツァン僧院(1694年建)」

チベット仏教圏の中で一番の聖地
標高3,000mの岩山の絶壁に張り付くように建っている。ブータンに仏教を広めた「グル・リンポチェ」が、8世紀のはじめ虎に乗ってこの地に飛んで来て創建したといわれ、この地を「タクツァン」すなわち「虎のねぐら」と呼ぶようになったという。
この僧院へは、非常に急峻な山道と石段を標高2,500mから3,000mまでを登らなければならない。

やっと辿り着いた僧院で僧侶から、不老不死の"お水"を頂き、登りの苦しさと相まって、有り難く思えた。


この僧院の中にも丸々と太った犬が寝そべっていた。

登山用の馬もいたが乗っている人は見かけなかった。

プナカの街角で、民族衣装キラで踊りの練習
ティンプーのメイン通り
ティンプー市内で建築ブームらしくあちこちで、工事をしている。
工事人は、なぜかネパール人とインド人で、ブータン人はこのような仕事をほとんどしないという。
道路の補修作業や土木建設現場もインド人である。

ブータン建築の特徴は窓と屋根にある。
茶色い窓枠に必ずマンダラっぽいブータン風の装飾が。ある。
特に窓枠は、どんな小さな家でも同様のデザインに統一されている。また茶色い屋根は、国が奨励しているトタンで、壁は白色系のペンキを塗っている。
棚田と農家の集落


山の斜面には、細かな網目のように道が付けられている。牛などの家畜が歩くことによって付けられたものである。
はっきりと道に見えるところは、人が歩く道


パロの農家を訪問
農家は普通3階建てで、1,2階は家畜や倉庫で、3階が住居となっている。
家屋の横の急な階段を上がったところが玄関である。


「バター茶」と地酒「アラ」(蒸留酒)に、昔懐かしい米菓子やクッキーをいただいた。

この辺りでは、標準的な農家だそうだ。
米作を中心に、麦、ジャガイモ、りんごを作っている。
耕耘機もある。

立派な仏間とこの前に法事等で僧侶が宿泊するため客間が設けられている。
おばあさんが毎朝水を取り替え、お経を唱える。

我々が通されたのはこの客間でなく居間
ブータンは、墓も位牌もないが、法事はある。
パロ・ゾン内での小さな僧たち

小窓から手を入れてマニ車を回したり、ふざけたり、小物を売ったり



小学校の朝礼前の子供たち、ランチボックス持参

ブータンでは義務教育制がないため、年齢に関係なく入学したときが一年生、学力に応じて進級を希望しないことも出来る。従って同級の兄弟もいる。
学費は無料
医療費も無料

プナカ(標高1350m)にて
何にもない野山で、年の離れた仲間で夕方まで楽しそうに遊んでいた。

朝の登校は、ゴとキラの制服で
ガンテ・ゴンパ(標高3000m)にて
姉が弟の守は、当たり前



伝統的なマスクダンス
幸せそうな若いお母さんやおばあさん


ご高覧ありがとうございました。